伝えることが仕事

店主ってこんな人

オーロラキッチンの店主になる以前に、私はグラフィックデザイナーという仕事に15年以上携わってきました。そのまま継続して今も店舗運営と並行してデザインの仕事も続けています。

グラフィックデザイナーってなに? 絵を描ける人? と思われがちですが、グラフィックとは、情報を視覚的に、効果的に、魅力的に見せること全般を意味していて、主に広告デザインなどの情報ツールを作っています。情報を広く人に伝えるのが仕事だと思っています。

 

店という場所も情報のひとつ

きっかけは2011年の震災以降の現象。社会や暮らしのあり方をめぐって、何を取捨選択して生きていくのかなど様々に語られていた中で、ある時出会ったのが、「買い物は社会活動のなかで誰でもできる投票だ」という言葉でした。その言葉に大いに納得したものですから、ずっとそのことについて考えていました。

残していくもの、変えなくてはいけないこと、良いもの悪いものの境目、など。しかし、どんなに考えてスマホやパソコンの画面越しに向き合っていても世の中が変わっていけるのかどうかの実感が湧かない。今の時代は、ほとんどの情報収集をスマホで済ませる人が大半かと思います。でも、その方法が逆にわずらわしかったり、伝わりきれなかったり、もどかしかったり、一方通行だったり、ということがフラストレーションの原因になることもしばしば。私自身がそう感じているひとりでした。そこで、そういう状態はどうしたら解消できるか? なども含めて、情報発信している側の人間としてずっと考えていました。

そうして行き着いたのが、昔から存在している「店」という形態でした。

情報のやりとりには「店」という場所って最高なのではないか? と考えたときに、以前の「買い物は社会活動のなかで誰でもできる投票だ」という言葉が響いてきました。そして、今の時代ならではの、ネットと店の両方の空間を連動させたら、きっと同じようにフラストレーションの解消を求める人々との交流と循環が生み出せるのでは? と考えたのです。

 

店を開くことが夢ではない

少し遡りますが。

お知らせや情報を発信することの面白さに目覚めたのは、けっこうな昔。小学校高学年のころにはその面白さに目覚め、中学、高校ではポスター作りにはまっていました。高校の文化祭のポスターの選抜では選ばれなかったものの、そのころのコギャルちゃんたちからはかなり支持を得たように思います(笑)。「わたしこっちのほう(私の作品)がぜったいかっこういいと思ってたよ。」なんて何人もに群がられたり(笑)。そう、無言で紙が語るポスター作りは、ものすごく爽快だと実感したのはその頃でした。ちなみに、その時に作ったポスターは、サイケデリックでありつつも洗練された女たち(都内女子校に通っていました)、を表現しました。どんなだ? 笑。

その後、学生時代に日本を飛び出し、ロンドンのデザインカレッジでグラフィックデザインと写真を少々学ぶ環境にどっぷり浸かり、帰国後に紆余曲折しながらもデザインの仕事にどっぷりはまり。そんなこんなで、フリーになった今でもグラフィックデザインは楽しくてしょうがないし、制作依頼をしてくださるお客様によろこんでいただけることが何よりもやりがいを感じているのです。今では、写真撮影もライティングもデザインと同時に行っています。これからもこの仕事を続けていくことが、自分にとっては自然な行いのように思っています。

だから、店を持つことを夢や希望と思ったことは一度もないし、今でも店というものは情報の出し入れをする「媒体」のひとつと捉えていて、店を情報発信ツールの一つとして店主自ら活用している気分のままでいます。時代も性別も文化も織り交ぜて行き交う店を「台所」と称して、情報を調理して提供する場所を作っていこうと思うのです。

 

店という媒体で何を伝えたいのか

上にも書きましたが、残していきたいもの、なくなってほしくないもの、大きくいえば地球環境のことを考えたら、昔の、もっと遡れば太古の知恵や技術はすべて大地や海からの恵みでできてきたわけで。それこそが地球とともに、自然とともに生きていく暮らしなのでは? という趣旨で作っているのがオーロラキッチンという店です。

 

日本の文化をたどる

文化を少しずつ掘り下げてみたいと試みながら、そこに携わる人々を訪ねて回り、これからもそれらを活用していくことを目指して、情報の収集と発信をしています。

文化とは、その時代の人々の生き方や暮らし方によって形作られるものであって、必要だからこそ息づいているもののことだろうと思います。廃れてしまった文化は、今の時代やこれからには、様々な面でメリットが見出せなくなってしまったことで消えてしまったはずです。コストだったりサイズだったり、それに変わる便利なものが新たに発明されたり、といった理由でそうなったのだろうと思います。

そうかと言って、いまにも消えてなくなろうとしている風前の灯火の文化は、このまま完全に消えてしまっていいのかというと、すべてがそういうわけでもないと強く感じています。風前の灯火となっている文化の多くは、自然素材を活用して自然とともに育まれてきたものがあります。自然環境についてことさら声高に叫ばれるこの時代にこそ、ますます人々の興味もそちらに向いていってもおかしくないはずです。

大量生産、大量消費に疑問や違和感や不均衡さを抱いたりする人も少なくない今の時代を見渡し、そしてこれからを想像するとき、少し前の先人たちはどうしていただろうかと、少し歩みの速度を緩めてみることも大切なことのように思います。昔の文化はただただ「古くさいもの」と見捨ててしまってはもったいないはずです。人々の心のどこかに本当は「消えてしまっては困るもの」という思いもあるのではないかと信じています。しかし、それに気づいてはいるけれど、なかなか行動に移す機会がないことも事実であり、そういった文化に触れる機会を増やしていく場所としても、「店」を活用していきたいと考えています。

 

ちょっと一呼吸置くために

少し前の時代の先人たちの行いは、いったいどんな暮らしぶりだったのか。それを知る手段は今ならまだ残されていて、まだ間に合うはずではないでしょうか。聞ける人がまだいてくれる。昔を知る人々がまだそのことについて教えてくれる。そんな、聞き逃してしまいそうな話に耳を傾けて、そして人に伝えておきたい。そう願って、私は日々、今も生きている昔の情報を収集して、「店」という空間をきっかけにして発信しています。

時代のスピード感は緩まないかもしれないけれど、ちょっと時代を振り返ってみることで、まだまだ活かせられる昔の情報「古くて新しい」ものが見つかるかもしれません。のんびり行くばかりではなく、古いと新しいを融合して時代に乗せていけたら。そう夢見ながら、今日も老若男女がふらりと立ち寄れる敷居の低い店作りをしています。様々な年代が交流することも、文化を掘り下げたり持ち上げたりするにはとても大切なことでもありますから。

 

仲間はどんどん広がります

発信すると人が寄ってきてくれる。寄ってきてくれた人たちと一緒に学ぶ。学んだら他の人へも伝える。そんふうに、いいかんじに波動が伝わっていったら、それはきっと大きな大きなオーロラのような色とりどりに輝いて広がるのではないかな。と想像しているのです。

 

こうして私は、今までもこれからも、決して丁寧な暮らしに憧れたりなんかしていないのです。むしろそんな言葉とは無縁でいたい。そう考えている店主です。