山に暮らす、街に暮らす

山の中に暮らしがある

長野に暮らしはじめた頃、人間の生活空間のスケールの違いに、良い意味でのショックを受けました。

長野では、平地である市街地から少し車を走らせると、すぐ山。東西南北どこへ向っても、結局山。そして、どんどんと家並みも少なくなっていくけれど、どんなに道を奥まで進んでも、必ず民家はあるのです。

人はこんな山にも住んでいる。

私が生きてきた年月を、この人たちはずっとこの山で(おそらく)暮らしてきている。いや、もちろんそれよりももっと長く。すごい。ただただすごいことだとストレートに思ったのです。

それまでずっと関東平野の風景の中で育ってきた私の身の回りには、山で暮らしている人の存在を想像することも皆無に近かった。見る山と言ったら「今日は富士山が見えたね」と遠くの山を象徴する富士山を意識することくらい。人々はだいたい電車に乗り、学校や会社に行き、その家族はみな会社勤め。それが普通であり疑問に思うこともなく、平野だけに暮らし方はさほど個性もなく、のっぺりとした平均値あたりのことしか想像をしていなかった。

それなのに、同じ時代に生きる人が、山の中にも当然いるのだ、という事実を知ると、それはもう、ひれ伏すような心持ちにもなるのでした。知らな過ぎてごめんなさい、というような思い。

きっかけは過去の出来事

以前、長野で出会ったとある会社勤めの20代女性。色白で清潔感があって、仕事ができるテキパキとした方でした。少し仲良くなっていろんな話をし始めたとき、彼女は言いました。毎朝4時には起きて牛の世話をしてから会社に来ている、と。

私は心底驚きました。でも、あまり驚きすぎても失礼かと思い、質問も程々にしておきましたが、あれから何年経っても、未だにあの衝撃は忘れません。同年代なのに、ものすごく働き者。それまでのヘラヘラと生きてきた自分を恥じました。人々の多様性について、はっきりと意識しはじめたのはあの頃からでした。

多様な暮らしをのぞいてみたい

そこから私の好奇心はそそられはじめ、山に囲まれた長野なんだから、あっちの山もこっちの山も見てみたい。山に暮らすってどんなかんじなのか、大人の社会科見学のように文化的なものをのぞいてみたい。少しずつ巡ってみると、長野県内だけで、日本のすべてを知れそうな錯覚にも陥ることしばしば。はたまた白樺の森で異国のような雰囲気を感じてみたり、古くて立派な日本家屋やその周りの田畑の風景を目にするとタイムスリップした気分にもなる。なんて刺激的なの!? 長野!!

人々の多様性とは、こういうことか、と。

こういったことが、私を長野にとどまらせる大きな理由です。

想像力が変換できるもの

あっちの山から、こっちの山から、いろんなモノを見つけては街中に下ろしてくる。それを人々に伝える。こんな面白いことができるかな。

と想像したら楽しくなった。

だから、そんなお店を作りたいと思ってお店を始めました。

街と山をつなぐ方法。私のやり方は、モノによって人々の暮らしの多様性を想像し、その想像力が他者に対する優しい眼差しに変換できたら、それはどんなに柔軟な寛容な社会になるだろうか。そんなことを思い描いているのでした。